تسجيل الدخول数日後、ラーシュから手紙と本が届いた。
手紙には短い時候の挨拶と金貨が一枚。
ただ一緒に届いた本にサラリアは驚いた。
その本はドラコニアのあの図書室で、途中まで読んでいた恋愛小説だった。
王女と騎士の身分違いの恋という、いかにも少女向けの物語。
いまでは恋が、それも身分違いの恋があんなふうに綺麗なものではないことは知っている。
でも本を手にした瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった気がした。
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それ以来、ラーシュから時折手紙が届くようになった。
頻繁ではなく、忘れた頃に届く程度。
頻度も周期も決まっていないのに、不思議と手紙が来ない期間が長くなるとサラリアはそわそわしたりした。
別に待っているわけではない、そう自分に言い聞かせながら郵便配達の足音に反応してしまう。
もうこないかも、そう思うとなぜか届く手紙。
そんな風にくる手紙に、サラリアも毎回ではなく気紛れに返事を書いた。
返事といっても
「彼女の目に映る者も、彼女の声を耳にする者も、彼女に触れる者も、自分だけでなければ許せない」オーレリウスの声は穏やかだったが、内容は竜人らしい苛烈なものだった。「あとは、屋敷の奥の奥の、誰の目にも触れない場所に隠しておきたい宝物」オーレリウスは微笑む。「いっそのことパクリと一飲みにして、自分の体の一部にしてしまいたいですね」ラーシュは思わず苦笑した。「それが愛かどうかは分からんが、番に対する正常な感覚だな」「そうですね」オーレリウスも苦笑する。「番が愛そのものなのですから、番に対する感覚が愛としか言いようがありませんね」オーレリウスは肩を竦める。「食べてしまいたいのも本音です。食べて、私の血肉にしてしまえば誰にも奪われることもないし、誰にも触れられることはないですから」「それならばなぜ食ってしまわない」「彼女の全てが愛おしいからですよ。表情、声、そして匂い。全てを愛しているから、食べてしまうのは勿体なくてできないのです」できるかどうかではなく、勿体ないから食べない。人族のサラリアが聞けば悲鳴を上げそうな会話だった。「だからこそ」オーレリウスは続ける。「自分以外の男が彼女の目に映ることも、彼女の声を耳にすることも、彼女に触れることも我慢している陛下は、本当にサラリア様を愛しているのだと分かります」ラーシュは黙った。「荒れ狂う独占欲を」「……」「耐え難い苦痛を」「……」「サラリア様をこれ以上傷つけたくないという一心で耐えていらっしゃるのですから」それは事実だった。会いたい。抱き締めたい。傍に置きたい。全て本音だ。だが、それはもうラーシュの我侭でしかない。ラーシュが姿を見せるようなことがあれば、サラリアは身を売ると言った。
【ラーシュ視点】オーレリウスの報告を聞きながらこれまでを思い出していたラーシュだったが、苦い後悔の余韻に浸ることはできなかった。「陛下の後悔はさておき、いまはトール様の発現のほうが問題です」王に向ける言葉としては率直だった。だがラーシュは不快に思わない。むしろありがたかった。オーレリウスは必要なときに必要なことを言う。遠慮もしないし、忖度もしない。王であるラーシュに対してこれができる者はとても少ない。サリンドラ公爵家の事件以降、多くの者がラーシュに対して遠慮がちになった。ラーシュの粛清を恐れていたからだ。公爵家の家宅捜索の結果、多くの者が粛清された。表向きは潔白だった者も、徹底的な捜査によってサリンドラ公爵家の協力者だと分かり、城を追われた。一時は城に勤める者の数が事件前の三分の二になった。最も変化があったのはサリンドラ公爵がトップにいた宰相府だ。部署内は空席だらけになり、逃亡を恐れて即時逮捕だったため引き継ぎもできていなかった。宰相府を中心とした城内の混乱は、事件から四年たった今でも完全には建て直せていない。サリンドラ公爵の後任を、ラーシュは人望のあるウィンドスケイル公爵に打診した。建国三傑の血を引く名門。温厚な人格。そして貴族たちからの信頼も厚い。騎士団長である彼にとっては畑違いだと理解していたが、一時的な采配であり、混乱期を乗り切るには最適な人材だと思った。だが公爵は断った。「それにはオーレリウスが適任でしょう」彼の推薦は、そのまま次男であるオーレリウスの後ろ盾となった。それから四年間、オーレリウスはラーシュを支え続けてくれた。.オーレリウスは気が利き、頭の回転が速い。文官気質であり武芸は好まないと言いながらも、実家が武家だという理由だけで鍛錬を続けてきたオーレリウスは努力型で面倒から逃げない。そしてなにより、先入観を持たずに何ごとにも公平だ。特にサラリアに関しては、彼の公平さは顕著だった。「トール様が発現なさったとき、一番危険なのはトール様のお傍にいらっしゃるサラリア様です。頑丈な竜族ならまだしも、あの方は人族です」ドラコニア中が王竜であるトールに熱狂している中、オーレリウスだけはサラリアを気遣う。必要以上に気をかけているわけではない。ただ、多くの竜族はサラリアを見ていない。見ているのは
使用人すらラーシュの傍にいることをシーリアが許さなかったので、ラーシュの周りには友人どころか誰もいなかった。使用人はいるから一人ではないが、情を抱かせないため短期間で代わる使用人たち。ラーシュが誰かに情を抱かないように。ラーシュが誰かを信頼しないように。ラーシュは孤独だった。だからだろう。シーリアが一人の少女、シーラを連れてきたときのことをラーシュは今でも覚えている。初めてシーラを見たとき、ラーシュは「似ている」と思った。シーラはシーリアに似ていた。名前も。容姿も。雰囲気も。何より笑い方が似ていた。当時は偶然だと思った。シーラはシーリアの双子の妹の孫娘で、二人は血が近い。だから容姿が似ていることは、あり得ることだとラーシュは思っていた。だが違った。調査によって全てが判明した。シーリアは自分と近い者を選んだ。意図的に。血と容姿が近い者。そしてシーラが選ばれた。ラーシュにフォーデンになることを求めたように、シーリアはシーラに「シーリア」になることを求めた。模擬恋愛。そう呼ぶのが最も近い。フォーデン役のラーシュ。シーリア役のシーラ。二人が愛し合う姿を見て満足する――そんな狂った劇をシーリアは望んだ。シーリアはシーラをラーシュの婚約者にしようとしていたが、それは叶わなかった。議会が反対したからだ。シーリアが望むことは大抵実現していた。幼い竜王の後見である彼女の意向を議会は無視できなかったが、婚約だけは進まなかった。反対意見が多かった。貴族たちはサリンドラ公爵家に権力が集中し過ぎることを危惧していた。だからウィンドスケイル公爵家を旗印にして、均衡を保つようにラーシュとシーラの結婚は反対された。その表向きの理由と
愛してくれるフォーデンを作る。ラーシュは初めてその資料を読んだとき、本気で理解できなかった。何を言っているのか分からなかったが、資料となった日記は残酷なほど詳細だった。シーリアはフォーデンの子を身ごもった後、毎日少しずつ彼に毒を盛った。少量ずつ。少量ずつ。気づかれないように。愛しているのにというわずかな躊躇と、愛しているからという歪んだ正義感をそのまま反映したように時間をかけてシーリアはフォーデンを弱らせた。病気に見せかけるためにゆっくりと殺した。毒を用意したのはシーリアの父であるスネルク。そしてシーリアは口止めとして父親に宰相の地位を、幼い息子フォーラに代わって政権を握る権利を与えた。(息子、ね)シーリアにとってフォーラは息子ではなかった。その事実にラーシュは寒気を覚える。シーリアにとってフォーラは代用品だった。自分を愛してくれるフォーデンの代わり。自分が「愛している」と言えば「私も愛している」と返してくれる“正しい”フォーデン。そのためにフォーラを作った。でもシーリアは満足できなかった。一つは瞳の色。フォーデンの金色ではなく、フォーラの瞳は自分の紫色を受け継いだ。そして、もう一つは身体。フォーデンは屈強な武人だったが、フォーラは病弱だった。(自分の色があるのは子どもならあり得ることだし、その病弱さのおかげで王竜ではないことを誤魔化したというのに)似ていない。違う。だからシーリアは作り直すことにした。今度こそ理想のフォーデンを。今度こそ失敗しないように。母体となる令嬢を慎重に選んで、シーリアはフォーラに娶らせた。そして生まれたのがラーシュだった。フォーラはラーシュが生まれて間もなく死んだ。ラーシュの母も、ラーシュを産んですぐ死んでいる。証拠
なぜフォーデンがシーリアを愛さなかったのか。その理由がラーシュには分かる。痛いほど分かる。匂いで誤魔化されても本能までは騙すことができない―――それがあの薬の欠点。体験したからラーシュには分かる。シーラからサラリアの匂いがしたから嗅覚は番だと訴えた。だが、それだけだった。サラリアに感じる感覚はない。胸の奥を焼くような焦燥。触れたいという衝動。抱き締めたいという渇望。喉が乾いて仕方がないような飢餓感。傍にいても満たされず、離れれば狂いそうになる欲求不満。サラリアに対しては当たり前のように湧き上がるそれが、シーラに対しては一度たりとも生まれなかった。理屈はシーラを番だと叫ぶ。愛せ。守れ。求めろ、と。だが本能は沈黙する。何も感じない。だからラーシュは求められてもシーラを抱かなかった。沈黙する本能を無視できなかった。これと同じものをフォーデンも感じていたはずだった。それでも彼は妻と迎えたシーリアを「番なのだから」という理屈で愛そうとした。愛さなければいけないと。鳥族に騙された竜王というレッテルが、その思いに拍車をかけたのだろう。(でも、愛は理屈ではない)フォーデンはビンガのようにシーリアを愛することはできなかった。それが愛する振りだったのか、違う愛し方だったのかはラーシュには分からない。でも同じような愛し方をできなかった。ビンガのように愛されない―――それがシーリアの違和感となった。フォーデンの愛し方を知っていたシーリアは、その違いに狂っていった。見つめ方が違う。笑い方が違う。ビンガが泣けば慌てたのに、自分が泣いてもハンカチを差し出すだけ。ビンガが少しでも体調を崩せば政務を放り出したのに、自分が倒れても侍従を寄越すだけ
最初の頃は執拗な拷問が行われた。連日のように番と偽ることができた理由を問い質した。シーラになるのは公爵令嬢としてのプライドだけで、蝶よ花よと育てられた彼女には痛みに対する耐性などなくシーラは次々と白状した。サリンドラ公爵を捕らえ、公爵家に調査の手を入れるのに十分な証言がとれるとラーシュはここに通わなくなった。シーラから香るサラリアの匂いが不快だったし、シーラに対しての興味もなくなっていた。ラーシュの中にシーラに対する復讐心がなかったとは言わない。だが『ざまあみろ』と言って消えたサラリアを思い出すたび、自分の復讐はただの八つ当たりだと思うようになった。シーラから始まった今回の事件は調査を始めてみれば開国の時代まで遡ることになった。その間に出てくるサリンドラ公爵家の謀略の数々。数が多すぎて、四年の歳月がたってもまだ調査は完全には終わっていない。(正直うんざりしているが、陣頭指揮を任されているオーレリウスはもっとうんざりしているだろうな)そこにきてトールに発現の兆しが現れた。オーレリウスはこれ幸いと『新たな王竜の時代』と打ち立て、新時代に相応しくないサリンドラ公爵家の過去の罪の解明は歴史家に丸投げすることにした。そしてサリンドラ公爵とシーラは共に翼を落として地上に追放することが決まった。この最高刑といえる罰に、現在分かっている分の罪で十分理由になった。但し、すぐではない。地上にはまだサラリアとトールがいる。二人には警護をつけているが、地上に落とされたシーラと公爵が絶対に危害を与えられないという保証はない。サラリアが害される。想像だけでラーシュの中を怒りが駆け巡る。実際には生きているし、竜族の中でも腕に自信のある強者がサラリアたちを守っている。でも理屈ではない。想像だけで、怒りで理性が焼けそうになる。(想像だけでこれなのだから)本当に番を殺されたフォーデンはどうだったのだろう。もし真実を知ったなら。薬のこと。シーリアの嘘。ビンガの死。それを知って、正気でいられただろうか。(無理だな)どれほど怒り狂うか、ラーシュの想像が追い付かない。世界を滅ぼしても飽き足らなかっただろう。いっそ狂ってしまったほうが幸せなほどの苦しみ。(先々代は、知らなくてよかったのだろう)真実を知らずに死ねたことは幸せだとラーシュは思う
「何が当然だっ!」「……兄上」「ふんっ! 誇り高い竜族のくせに兎族が番などという軟弱者がっ! まあ、人族よりは大分マシではあるがな」吐き捨てるような兄の言葉は竜族の本音なのだろうとサラリアは思った――――それと同時に。(この兄、本当に必要以上に情報を漏らすわ)サラリアは内心呆れたが、顔に出せばまたオーレリウスが殴られるかもしれないと思い無表情を保つ。視線だけ動かしてオーレリウスを見ると仕方がない人だと言っているようで、意外にも兄弟仲はいいらしいとサラリアは判断した。
複数の足音が近づいてきた。身構えるサラリアの視線の先で扉がゆっくりと開く。入ってきたのは四人の男たちだった。前に二人、後ろに二人。 自然と立ち位置に上下関係が見える。 後ろの二人は護衛のように前二人に従っていた。(大袈裟ね)飛んで逃げる翼もない人族の、しかも非力な女一人に対して竜族の屈強な男が四人もいる。サラリアは皮肉げに口元を緩めた。.「オーレリウス・ウィンドスケイルです。ご同行ください」前に立つ二人のうちの一人が胸へ手を当てて敬礼し、丁寧に名乗った上で頭を下
「サラ、何をした?」ラーシュの声は静かで、そこにはラーシュが常にサラリアへ向けていた熱も甘さもなかった。あれほど優しく自分を見つめていた藍色の瞳が今は罪人を見定めるように揺れている。そんな氷のように冷たい目をサラリアは初めて向けられた。その視線にサラリアは一瞬だけ息を詰まらせた。本能的に恐怖を感じると同時に深く傷ついた。愛されていた相手から向けられる疑念ほど人を傷つけるものはない。しかしサラリアは後宮で学んでいた。誰も助けてくれない場所では、自分だけは自分を信じなければならない
目を覚ましたとき、サラリアがまず感じたのは金属が錆びたときのような臭いだった。ぼんやりした頭で体を起こし、ようやく自分が床に倒れていたことに気づいた。そのくらい、何が起きたのか理解できていなかった。顔にかかる髪を退けようとして、手のひらについた血に気づいた。真っ赤な血に対する反射的な恐怖心で動いたとき足が何かを蹴った。からんと金属音が響いた。視線をそちらに向けると短剣が床に転がっていた。その刃には血がべったりと付着していた。サラリアは一瞬呼吸が止まったが、視線はゆっくりと動いていた。







